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私の市大20周年(10)情報科学研究科教授 田中輝雄


20周年を迎えて
ー多くの人に出会え、絆を授けて頂いた20年、そして感謝ー

 平成6年4月の開学と同時に広島市立大学に着任して以来、多くの教職員の皆さんと学生・卒業生の皆さんに恵まれ、絆を授けて頂いた20年であった。

              運命の出会い

大学が開学して間もない頃は、大学の校庭が現在の様に芝生やコンクリートできれいに整備されておらず、また、周辺の道路も整備されておらず、交通量も少なく、バスの便も日に数本程度で、帰宅するには夕方5時の便が最後という状況でした。ある雨の日の夕方5時前頃、私一人しかいない大学前のバス停で傘を差しながらバスを待っていると、大学の方から大柄な人が傘を差しながらバス停に向かって来ました。二人でバスを待っている間「学部はどちらですか?お帰りですか?」とお互いに初対面の挨拶をし、到着したバスに乗りました。バスの中では「スポーツ社会学をやっていて、今、大学にいろんなクラブを作ろうとしているんです。陸上、水泳、テニスはもちろんで、どこの大学にもある。ここは新しい大学だから、新しいスポーツのクラブを作りたいんだ。トライアスロンというクラブを作りたいんだ。水泳と自転車とマラソンを続けてやるスポーツなんだ。陸上とテニスは既に顧問をやってくれる先生が見つかったんだけど、水泳とトライアスロンはまだ顧問をやってくれる先生がいないんだ。」 鬼籍に入った国際学部荒井貞光先生です。これがご縁でその後トライアスロン部顧問をお引受けすることとなり、今日に至っています。
時折、荒井先生から頂いた『コートの外』に関するスポーツ社会学の論文や著書『クラブ文化が人を育てる』(大修館書店)を拝読したりということもしましたが、私は体育学が専門ではないため、荒井先生が考えておられたクラブになっているのか、はなはだ心配です。
「この世の中は、人間関係がすべてだ。人と人との出会い。だからおもしろい。人間関係を養えるところがクラブなんだ。人は成長するんだよ。」、
「競技で良い成績をあげることだけではなく、そのスポーツを通して仲間をつくり、人間関係を学び、大学卒業後も途切れることのない人と人との結びつきを大切にするクラブ」。
競技面ではここ数年は毎年インカレ出場を果たし、組織面ではOB・OG会も設立され、幸いにもここまでこられたのも、ご健在であったころの荒井先生のご指導とトライアスロン部学生・卒業生に恵まれたお蔭であり、トライアスロンという生涯の宝物を頂いたと感謝しています。
「俺、トライアスロンは出来ないけど、10年後、20年後に皆で集まることがあったら、その時、皆と一杯やりたいから俺も呼んでよ。一人のOBとしてでいいからさ。」
今もこの言葉が忘れられません。

                躍進

開学時は情報数理学科情報数理学講座に所属し、その後の改組等により情報メディア工学科電波メディア講座、同学科情報セキュリティ講座、情報科学研究科システム工学専攻計画数学研究室を経て、現在は情報科学研究科システム工学専攻数理科学研究室の所属です。
数学の研究を志した大学4年生時より現在に至るまで確率過程論、計画数学を専門分野とし、最適停止理論や確率制御理論の研究に取り組んできました。平成6年12月に南山大学(名古屋市)で開催された国際会議『International  Conference  on  Stochastic  Models  and  Optimal  Stopping』へ参加し、最適停止理論の研究では世界的に著名な研究者と知り合う機会を得ることが出来ました。特に、V. V. Mazalov先生(ロシア)とは3年ぶりの再会となったり、また、この会議の実行委員長を務められた穴太克則先生からは有益な学術情報を機会がある度に提供して頂いています。
また、この時期に、多次元時間変数をもつ確率過程の研究で著名なR.C.Dalang 先生(スイス)が『Sequential  Stochastic  Optimization』(平成8年にWileyより出版)の原稿を私に送って下さいました。この著書は最適停止理論のブレイクスルーともいうべきものであり、出版前に原稿を頂いたことは大変な驚きでした。
私にとって、広島市立大学着任が研究生活の躍進の時期でもありました。その後も、多数回停止規則をもつ最適停止理論、預言者の不等式、バンディット問題、マルコフ決定過程論などで研究成果をあげることが出来、これまでお世話になった先生方のご指導のお蔭と感謝しています。
情報

             はじめての授業

開学時は大学の校舎は約半分か三分の二程度しか完成しておらず、年次進行での建設でした。それに応じて教員の居室は1年ごとの移動で、私自身は、1年目は芸術学部棟、2年目と3年目は情報科学部棟内を移動し、定常的な居室に落ち着くまでに3年かかりました。
情報処理センターは、情報科学部着任予定教員が開学前から仕様策定・機種選定等の準備に相当な時間をかけられたと伺っています。私が本学ではじめて行った授業がこの情報処理センターを使用した「一般情報処理B」(情報数理学科1年生対象)でした。この時の授業は情報処理センターで行われる最初の授業ともなり、仕様策定等の準備に携わった教員もこの時の教室内で待機し、計算機が正常に作動するのか、固唾を呑んで授業を見守っているという状況で、色々な意味で緊張の授業でした。
開学時からの情報科学部教育の特徴として、演習科目・実験科目が充実していることがあげられます。2年次科目「情報数理学実験Ⅰ、Ⅱ」(現在の情報科学基礎実験に対応)、3年次科目「情報数理学実験Ⅲ、Ⅳ」(現在の3年次学生実験に対応)の開講のためにWGを設置して、相当な時間をかけて準備したことが思い出されます。計算機に疎い私にとって、WGでは知識豊富な教員に頼るばかりでしたが、お蔭様で開学2年目と3年目には実験科目を開講でき、実験担当教員が一丸となって学生の指導にあたりました。理工系学部での実験科目がどういうものであるか、非実験系学科を卒業した私も学生と一緒に一からの勉強となりました。実験課題に懸命に取り組む学生の姿や学生指導を熱心に行う教員の姿に圧倒され、情報科学部には相当なやる気と意気込みをもった学生と教員が集結しているのだ、私自身も周りの教員に引けを取ることなく一生懸命に教育に取り組んでいかなければと痛感しました。
数学が専門ということ、また、開学時所属した情報数理学講座が基礎教育担当講座でもあったことから、開学時より情報科学部の数学基礎教育も担当してきました。
意気込みが、時として厳しさのみになってしまったこともあり、今振返ると反省すべきことが多々あったのではないかと思います。
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             学生は生涯の宝物

その様な中で、学部卒業研究で39名、大学院修士課程で8名の学生を直接指導する機会に恵まれ、パワーを与えてくれる学生にも恵まれました。卒業・修了した今でも機会がある度に連絡を頂いており、ほとんどが御目出度い連絡で、教員冥利に尽きます。広島県内外の中学・高校で数学の教員として活躍している卒業生もおり、同じ数学界に身をおけることは望外の喜びでもあります。これまた生涯の宝物を頂いたと感謝しています。
2か月程前、卒業生数名と会する機会があり、6年前の卒業生から「『人生は第二希望で成功する』、今でも憶えています。」と言われました。これは作詞家・阿久悠の言葉であると思われますが、確か卒業式の時に何気なく贈った言葉であり、その時の言葉を今も記憶に留めて、心の支えにしていてくれた様です。
この20年で教員である私自身が一番学んだことは、今さらながらではあるが「教育は人間が行うものである」ということでしょうか。

             西風新都駅伝大会

平成13年2月に広島市立大学構内および周辺において第1回目の「西風新都駅伝大会」を開催されました。荒井先生が発起人となり、「地域と大学の草の根的な交流の場としての大会」をスローガンに、スポーツを通じた地域の活性化を目指し、本学学生が大会運営を執り行う駅伝大会としてスタートしたものです。
この大会も、遅ればせながら平成27年に15回大会開催という節目を迎えます。参加資格はございません。これまで、本学の学生、教職員、OB・OG、他大学等の学生、地域のランニングクラブ・トライアスロンクラブ、近隣の中学校・高校の陸上部等々の参加を頂き、12回大会(平成24年3月3日開催)より小学生チームが参加、13回大会(平成25年3月2日開催)では小学生向けの表彰カテゴリーも設け、引率の保護者の方々からも好評を頂きました。
1チーム5名、全5区間12km(1区3.2km、2区1.2km、3区3.0km、4区1.2km、5区3.4km)、概ね40分から70分位で完走出来ます。14回大会(平成26年3月1日開催)では、最年少8歳、最高齢83歳のランナーの参加を頂きました。
西風新都駅伝は、学生のチームワークと継続的な努力により市大20年の歴史とともに歩み、定着しつつあります。
OB・OGチーム、学生チーム、教職員チーム等々多くのご参加を頂き、駅伝を通して楽しいひと時、交流の時を過ごしていただければと思います。
ご参加心よりお待ち申し上げております。

                  絆

学生・卒業生の皆さんにとって、学部学科を問わず同級生・先輩・後輩の人と人とのつながりはこれからの永い人生において宝物にも御守にもなります。
市大の絆を大切にしていきましょう。
絆