20年間のネットワーク分野の発展と将来有望な人材を育てるための提言
私は広島で生まれ広島大学で博士を取得するまで広島で育ちました。その後、国際電信電話株式会社(KDD)研究所に務めて8年、大阪大学に移って7年が経とうとしていた頃、当時、広島市立大学の教授であった天野橘太郎先生から広島市立大学にプログラム工学講座の教授として来ないかと誘われました。天野先生は元KDD研究所で首席研究員を務められた方であり、私が同研究所で通信ソフトウェアの研究を行っていたことをご存じだったからです。生まれ育った故郷である広島において教育研究を行う貴重な機会を与えていただいた天野先生には今でも感謝しております。
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市大で成長していくもの
大学の中で元気に育っているものの中に、開学から3年近くかけて記念に植えた「かしの木」、「くぬぎ」などがあります。植えた時は70cm位の苗もすでにその姿は林へと成長しています。
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1998年に5期生として入学
1998年に5期生として入学いたしました。当時の大学は施設がまだ新しくて、自分もまだ若かったこともあり、美術系の大学なのに綺麗すぎるなんていきがっていたこともありました。先生方に反発し、生意気な態度をとってもいました。あれから十数年、現在デザイン工芸学科で指導する立場で大学にいます。現在では大学の至る所に傷み汚れがあり、決して綺麗な施設ではなくなってきました。私も昔とは反対に掃除しろ、片付けろ、などと口うるさく云わなければならない日々。20年間の記憶。
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記憶の中の市大
私が市大の一期生として入学した当初、校舎は半分、講堂もなく、もちろん現在のような立派な工房棟もない状態でした。
今は無き芸術学部棟の非常階段を駆け下り、プレハブ小屋(現在は芸術学部横の駐輪場となっている場所)の中で、彫刻専攻教員全員の熱血指導と視線を浴びながらの実習をこなしていたのを思い出します。 続きを読む →
「広島市立大学が 広島の未来をつくる」 2014年、本学は開学20周年を迎えました。