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私の市大20周年(15)情報科学研究科教授 日浦慎作


20年前に思いを馳せて

私はまだ広島市立大学に着任してから5年目ですので、市大のキャリアは修士課程1年の学生と同じです。そして広島市立大学が開学した1994年は何をしていたのかなと回想すると、これもまた修士課程で研究をしていた頃ということになります。そのころはまだ、計算機に画像を読み込んで処理するということは今ほど簡単ではありませんでしたので、パソコンとは違う研究室の高性能な計算機では文字通り「ぽん」と画像を読み込んで処理できることが新鮮な驚きでした。そんな時代でしたから、どんなことをしても新しい研究になったといっても過言ではなく、夢中で研究していた・・というよりも、好き勝手に遊んでいたような思い出がたくさんあります。その後、親の反対を押し切って博士課程に進学し、経済的援助も打ち切られたなか、アルバイトで自活しながら25歳の誕生日を迎える前に博士論文を提出することが出来たのは、そんな遊び感覚で「オモロイ(面白い)ことをやる」楽しさが常にあったからのような気がします。そして年々厳しい目にさらされるようになってきた今の大学でも、いや、そういう時代だからこそ、そういうマインドがますます大事になってきていると思っています。

私は生粋の関西人で、学生、教員として長く大阪にいましたので、この「オモロイ」かどうか、ということがどうも価値観の根底に刻まれているように思います。しかし、実はこの「オモロイ」はそんなに簡単なことではありません。意表をついた、アイディアの効いた研究はオモロイのですが、既存の方法をちょっと調整して少し精度が上がったような研究は違うのです。本当は、研究室内外で発表を聞いているうちに「どこがオモロイねん」とツッコミを入れたい気持ちが湧くこともありますが、これはあまりにひどいキラーパスになるため、封印をしているのです。知り合いのコテコテ関西人の研究者には、実際にそういう質問をすることで恐れられている先生もいますが・・。しかし、研究室の大学院生にも、また授業を受けている学部生にも、そういう「オモロイ」を常に感じて欲しい。自分がオモロイと思ってない勉学や研究は伸びないのです。また、「オモロイ」の共有は絆を深めます。上の写真は、先日、秋のゼミ旅行で宮島の水族館に行った時のものですが、このような「あ!ちょっと、あれ見て!」にすべての始まりがあるわけです。

本題の「市大20周年」から大きく横道に逸れたようなので遅まきながら軌道修正をしますが、この20年間は、そういう「オモロイ」ことを追求する余力が日本からしだいに失われてきた20年であったという気がします。・・というと、晴れの場にネガティブなことを書くとはなにごとか、と叱られそうですが、しかし一方で大学の重要な使命の1つに、今も昔もそのような「オモロイこと」の追求が課せられていると思っています。それは研究だけでなく、受験勉強を終えた学生が、蓄えた知力を使ってどんな「オモロイ」ことを見出すのか。課外活動にしてもそうで、古くから大学生には、その後の生きる力を蓄えるための良き時間を過ごす者、として温かい目が注がれていたように思います。今ちょうど、私の手元には立派に完成した開学20周年記念誌が届き、そこには開学に至る経緯が力強い文章で綴られていますが、その行間からも、単なる教育機関の枠を超えた「面白い組織」としての期待が込められていたことが伺えます。そして、それを創り、維持してきたことが広島の地力であり、またこれからの飛躍の糧になるのだと信じています。遅れてやってきた関西人ではありますが、もっと大学を「オモロク」できるよう、これからも微力ながらお手伝いしていきたいと思っています。